遠くから聞こえてくる甲高い音に、エアは静かに立ち止まり、耳を澄ましました。
ここは、広い草原。
その音は、遠くに見える森の中から聞こえてきました。
エアは、すぐに駆け出します。
楽しそうな歌が聞こえる、森に向かって。
音の正体は、木を切る音でした。
ひとりの屈強な木こりが、大きな斧を振りかざしては、木を目掛けて振り下ろしています。
エアは、その様子を、しゃがみこんで見つめていました。
それから、どれだけ時間が経ったでしょうか。
もう夕陽が見える頃になると、木こりはエアを家に招待しました。
そこは、丸太で出来たロッジ。
壁一面に飾られた、世界中の森の写真。
たくさんの笑顔が写っています。
木こりが旅をして、薪の無い町が冬を越せるようにしたのです。
エアは、その時の話を聞かせてほしいと、木こりの横に座りました。
豪快な声で笑い出す、木こり。
壮大な冒険の話は、夜遅くまで続くのでした。
次の日の朝。
エアは、柔らかなベッドの上で目を覚ましました。
昨日は、本当に楽しい話を聞けました。
ふと、棚の上に目をやると、一人の少女の写真が見えました。
昨日の話の中で出てきた、木こりの娘です。
どこにいるのかも分からないんだ。
木こりは、小さな声で言っていました。
あの、大きな声の木こりが、小さな声で。
エアは、何だか寂しくなって、写真から目を背けました。
窓の向こうから、あの心地良い音が聞こえます。
どうやら、木こりは、すでに仕事に行ったようでした。
エアも、すぐに着替えをすると、玄関に向かいます。
玄関のドアを開けると、何かがエアの足元に落ちてきました。
それは、木こりに宛てられた手紙でした。
急いで森に向かったエアは、一生懸命に仕事をしてる木こりに声をかけました。
手紙を受け取った木こりは、すぐに封を切りはじめました。
それを見た、木こりの顔が、みるみるうちに真っ赤になっていきます。
そして、手紙を地面に叩きつけると、大きな声で叫び始めました。
あまりの音の大きさに、エアは耳をふさぎます。
木こりは、叫び声を上げながら、森の奥へと走って行きます。
手に持った斧を振り回しては、邪魔になる木を切り倒しましていきました。
一体、どうしたというのでしょう。
エアは、木こりが捨てた手紙を手に取りました。
―あなたのむすめが、きょう なくなりました。
それは、小さな病院からの手紙でした。
エアは、すぐに木こりを追いかけます。
森の奥にあるもの。
それは、神の木と呼ばれる、大切な木。
たくさんの人が、祈りを捧げる木です。
それを、切り倒してしまったら。
考えただけでも、身震いがします。
どうか。
どうか、早まらないで...!
エアが、神の木の所に辿り着くと、木こりが斧を振り上げているところでした。
もう、間に合わない!
そう思ったときでした。
木こりの目の前に、何かが立ちふさがりました。
両手を一杯に広げて、目を閉じています。
木こりは、思わず手に持った斧を地面に落としました。
目の前に現れたもの。
それは、木こりの娘だったのです。
木こりは、大きな声で娘の名前を叫びました。
お互い抱き合って、泣きじゃくっています。
エアの手にある、手紙。
どこかで雨にでも当たったのでしょう。
ひとつ、文字が消えていました。
―あなたのむすめが、きょういなくなりました。
父さんに会いたい。
その一心で、病院を抜け出したのです。
そして、何日もかけて、この森までやってきたのでした。
後、少しで。
取り返しのつかないことになっていた。
木こりは、何度も娘にお礼を言いました。
「奪われていい、命なんてないんだ」
エアは、静かにつぶやくと、森を後にしました。
暖かな風が吹いています。
それは、親子の再会を祝っているようでした。
島の真ん中に位置する村の中で、エアは村の産業である木の加工を手伝っています。
とても平和な村でした。
争いもなく、みんな笑顔で。
毎日が、透き通った水のように流れていくのでした。
ある日のこと。
エアが、いつものように村の作業場へ向かう途中のことです。
森の入り口の方から、誰かの叫ぶ声が聞こえてきました。
急いで、声のする方に向かうと、そこには見たことのない人が、長い槍を持って立っています。
エアには分からない言葉で、村の人たちに向かって何かを叫んでいました。
その様子に、村中の人たちが集まってきました。
それを見た、槍を持った人は、逃げるように森の中へと駆けていきます。
エアは、あれが誰なのか尋ねました。
森の洞窟に住む人たちだよ。
村の人たちは、暗い声で、そう教えてくれるのでした。
次の日のこと。
小さな子供の泣き声が聞こえて、エアは目を覚ましました。
宿の窓から外を見つめると、そこには、腕を怪我した男の子が泣いているのが見えました。
そして、その子の父親が、怒り狂った顔をして、何かを叫んでいます。
その声に、村中の人たちが集まってきました。
それぞれの手には、鋭い刃物が見えます。
エアは、それがどういうことか、すぐに気付きました。
昨日の洞窟に住む人が、子供に怪我を負わせたのです。
すぐに、宿を飛び出したエアは、森の中へと入っていく村の人たちを止めに入ります。
しかし、誰一人として、余所者のエアの言葉を聞く人はいませんでした。
裸足で、森の中を駆けていくエア。
両手を一杯に広げて、村の人たちを止めようとしますが、すぐに払いのけられてしまいます。
何度も、何度も立ち上がりました。
そして、何度も何度も地面に転がされてしまいます。
そうしているうちに、洞窟が見えてきました。
洞窟の前には、槍や剣を持った人たちが大勢います。
洞窟の周りの木は、全部切り倒されています。
木の実を取れなくなってしまった、洞窟に住む人たち。
それを無視して、木を切り倒し続けた、村の人たち。
自分たちの生活を守るため。
自分たちの思いを通すため。
お互いを傷つけようとしているのでした。
大きな声が聞こえます。
一斉に走り出す、村の人たち。
それを迎え撃つ、洞窟に住む人たち。
争いが始まってしまう。
そう思ったときでした。
誰かの声が聞こえました。
それは、とても悲しい声。
涙が混じった、泣き声でした。
村の人たちも、洞窟に住む人たちも、辺りを見渡しました。
その視線が、ひとところで止まります。
エアです。
エアが、大きな声で泣きじゃくっています。
村の人たちは、あんなに笑顔だったエアの顔が悲しい顔になっているのを見て、驚きを隠せません。
洞窟に住む人たちは、泥だらけになって泣いてくれる少女の姿に、手を止めました。
エアの姿に、そこにいた誰もが、肩を落としました。
地面に、たくさんの武器が落ちる音が聞こえます。
雨が降ってきました。
それは、全てを洗い流す雨ではないかもしれません。
それでも、一人の少女が流した涙が、争いを止めたのです。
ゆっくりと立ち上がる、エア。
手を合わせて、空に祈りました。
「どうか、世界が平和でありますように」
争いは終わりました。
雨が上がる頃。
きっと、祈りは届いていることでしょう。
今は、雨が上がることを、みんな祈っているのでした。
小さな木箱に、桃色の彫刻を入れて持ち歩く人々を見て、エアは高まる好奇心を抑えることが出来ませんでした。
春の香りたなびく、小さな町。
町の人たちは、みな、それぞれの木箱を工夫して持ち歩いていました。
肩にかけるように、持ち歩く人。
腰にぶらさげて、持ち歩く人。
大切に両手で包み込んでいる人。
エアも、さっそく、自分だけの木箱を探しに行くのでした。
ある日のこと。
エアが、真っ白い木箱をネックレスのように身につけて歩いていると、ひとりの女の人が空を見上げているのが見えました。
見ると、その女の人は、木箱を持っていません。
不思議に思ったエアは、女の人に声をかけてみました。
女の人は、静かに木箱を持っていない理由を話し始めました。
もうすぐ、この町を出て行かなければならない。
その為に、木箱を町の教会に預けているの。
エアは、木箱のことよりも、女の人の暗い表情が、とても気になりました。
遠くの町へ行くことになった女の人。
大好きな、この町を出て行くのが、とても辛いのです。
生まれてから、ずっと、この町だけが、自分の世界でした。
他所の世界のことは、手紙や町の掲示板で知るだけ。
友達も、みな、この町の人です。
大きな不安が、女の人の肩に、重くのしかかるのでした。
次の日。
エアが、町の掲示板の前を通りかかったときのことです。
見たことのない人が、真剣な顔をして掲示板を見つめているのが見えました。
真っ白なタキシードを着て、胸に青いバラを刺した、若い男の人でした。
その人も、木箱を持っていません。
もしかしたら、他所から来た人かもしれない。
エアは、そう思い、声をかけました。
その人は、やはり、遠くの町からやってきた人でした。
エアが持っている木箱を興味深げに眺めているので、この町の風習を説明してあげました。
男の人は、エアにお礼を言うと、木箱屋さんのところへと歩いていきました。
エアは、男の人が見えなくなるまで手を振ると、女の人の家へと向かいます。
あいかわらず、暗い顔をしている女の人。
どんなに、エアが励ましても、ため息が止まることはありませんでした。
その時です。
女の人の家のドアを、ノックする音が聞こえました。
女の人がドアを開けると、そこには誰もいません。
エアが後からやってくると、郵便受けに手紙が入っているのが見えました。
それは、女の人に宛てた手紙。
遠くの町からの手紙でした。
そこには、歓迎のことばと一緒に、一枚の写真が添えられていました。
たくさんの人たちが、笑顔で写っています。
それがどれだけ、女の人の不安を拭い去ってくれたことか。
それは、女の人の笑顔を初めてみることが出来た、エアにもすぐに分かりました。
トントン、と誰かが、エアの肩を叩きました。
振り返ると、そこには、やっぱり誰もおらず、代わりに小さな木箱が置かれていました。
その木箱は、女の人が教会に預けたもの。
これで、いつでも、この町を出ることが出来ます。
女の人は、そっと、木箱のフタを開けました。
そこにあったのは、青いバラ。
あの男の人は、女の人を迎えに来たのです。
「別れが、新しい出会いをくれたんだ」
夕焼けが、キレイなオレンジ色を魅せてくれました。
馬車が、玄関の前に停まります。
女の人の、新しい暮らしが始めるのでした。
海の見える丘の上にある小さな町で、エアは引越しの準備の真っ最中でした。
通りを歩く人たちが、珍しそうにこちらを見ていきます。
軍手をした女の人が、一息ついて玄関の前の階段に腰掛けました。
エアも、その横に座って水を差し出します。
カモメの鳴き声が聞こえました。
女の人は、夢を追いかけて都会へと引っ越すのです。
エアは、その真っ直ぐな瞳に、手を貸さずにはいられないのでした。
次の日。
引越しの準備は続いています。
次々に、外へと運ばれていく家具たち。
イスもベッドも、小さなテーブルも、少しの間だけお別れです。
部屋の中が空っぽになると、次は庭にある物置の中です。
小さな芝生を抜ける間、女の人はエアに夢を語りました。
エアは、輝いた目をして頷きます。
物置の扉を開けると、中は埃だらけ。
エアと女の人は、鼻をつまんで埃混じりの空気を払います。
やっと息が出来るようになると、引越しに持っていく物と、お店屋さんに引き取ってもらう物とを分
け始めました。
きびきびと、必要なものを選んでいく女の人でしたが、黒い箱に入った何かを見つけると、ふと、立
ち止まるのでした。
エアが、後ろから覗き込むと、それは雛人形でした。
女の人が、この町に引っ越してくる時に持ってきたのです。
服もボロボロ、顔も汚れています。
女の人は、少し考えましたが、雛人形は置いていくことに決めました。
少し寂しそうな顔をしているのを、エアは心配そうに見つめているのでした。
その日の夜。
それは、この町で過ごす最後の夜でした。
見飽きたような窓からの風景も、何だか霞んで見えました。
女の人とエアは、ベランダに腰掛けて、ぼんやりと浮かぶ月を眺めていました。
ひとつ、また、ひとつ。
紡ぐような言葉で、女の人は、この町の思い出を話しました。
エアは、ただ黙って、女の人の話しを聞きます。
夢を探していた、あの頃。
大好きだった、あの人。
何かがつかめそうで、必死に手を伸ばした、あの日。
それでも、ここに夢への箱舟は無いのだと気付いた、あの時。
メリーゴーランドのように、思い出が頭の中をまわりだしました。
ふと、言葉が途切れました。
見ると、女の人は両手で肩を押さえて震えています。
夢を追いかける勇気を、少しだけ無くしてしまったようでした。
その時です。
エアは、すっと立ち上がったかと思うと、小さな箱を持って戻ってきました。
女の人が箱を開けると、そこには、捨てたはずの雛人形がひとつ、入っていました。
お内裏様でしょうか。お雛様でしょうか。
古びてしまい、それすらも分かりません。
女の人が、箱から人形を取り出すと、何かが地面に落ちました。
それは、小さな、小さな手紙。
10年前、この町にやってきた、少女だった頃の女の人が書いた手紙でした。
「すなおに なって ください」
暖かな風が、ひとつ吹きました。
10年前の自分が、そっと背中を押してくれたのです。
それは、雛人形がくれたメッセージ。
女の人が顔を上げると、そこにエアの姿はありませんでした。
風のように、やってきて。
風のように、きえていく。
遠くの空に、明日がやってくるのでした。
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