遠くの島に渡る大きな船の甲板で、エアは思いっきり、深呼吸をしました。
エアの旅は海を渡り、次なる大陸へと繋がっていきます。
今度は、どんな世界が見られるのだろう。
エアは、わくわくしながら、水平線の先を見つめているのでした。
甲板から船室へと戻ったエア。
どこからか、大きな声が聞こえてきます。
音のする方に行ってみると、船長室の扉が開いて、船員が数人、怒った顔をしながら歩いていきました。
どうやら、まだ若い船長に文句を言いに来たようです。
がっくりと肩を落とす船長。
エアは、船長に近づくと、優しく肩に手をおいてあげました。
この船長は、前の船長の息子。
まだまだ、経験不足だし、航海術もおぼつきません。
それでも、事故で亡くなった父親のような船長になりたいと、情熱を持って仕事を続けてきました。
しかし、それだけでは、船員達はついてきません。
たくさんのお客さんを乗せている船です。
船長のミスが、命に関わることもあるのですから当然です。
船長のため息が、穏やかに揺れる船長室にこだまするのでした。
その日の夜のこと。
船は、嵐の中にいました。
不安そうに、窓に打ち寄せる波を見つめる、お客さんたち。
船酔いで、具合が悪くなっている人もいます。
甲板では、戦争のように船員達が走り回っていました。
エアは、静かな笑顔で、他のお客さんたちを勇気付けていました。
しかし、嵐は一向に止みません。
ついには、どこに向かって進んでいるのか、船長にも分からなくなってしまいました。
どうしよう。
このままでは、船は沈んでしまう。
やっぱり、父さんのような船長に、ぼくはなれないのだろうか。
船長は、ガタガタ震えながら、膝から崩れ落ちてしまいました。
エアが船長室に入ってきます。
雨に濡れた子犬のような目で、船長が座り込んでいました。
エアは、きっとした顔をして、船長を励まします。
そして、壁にかかっていた、前の船長の帽子を船長にかぶせました。
その時です。
突然、船長が立ち上がったと思うと、何かに頷きながら、計器を確認しだすではありませんか。
エアは、その様子を黙って見つめていました。
船が、どこかに向かって進んでいるのを感じた船員たちも、船長室に入ってきます。
それを見た船長は、すぐに船員に指示を出します。
エアは、船が生き返ったのを感じました。
そして、その理由も分かったのです。
「いつも、見守っていたんだね」
船長の耳に、届いた声。
それは、天国のお父さんの声だったのです。
窓の外が、明るくなってきました。
嵐を越えたのです。
朝靄(あさもや)に煙る甲板の上で、エアは思いっきり、深呼吸をしました。
水平線の向こうに、新しい島が見えてくるのでした。
燦々と照りつける太陽の下、浜辺で食べる新鮮な魚の味に、エアは大きな海に感謝しました。
ここは、大きな港町。
潮の香りと、波の音。
漁師たちの笑い声と、大漁を祝う笛の響き。
その音に合わせて、海の神様の像の周りを、子供たちが回っています。
本当に、幸せな時間がながれていくのでした。
ある日のこと。
エアが、町を散歩していた時のこと。
港に面した小屋の前に、たくさんの人が集まっているのが見えました。
エアが覗き込むと、大きな海図を地面に広げて、何かを話しています。
海図を広げている、おばあさんの表情が、みるみるうちに強張っていくのを、エアは心配そうに見つめています。
港を出た船が帰ってこないのです。
通信があった場所から、今、船がどこにいるのかを、皆で話し合っているのでした。
今まで、船が帰ってこなかったことなど、一度もありません。
町の漁師たちも、エアも、ただただ、心配しながら水平線を見つめることしか出来ないのでした。
その日の夜のこと。
町に嵐がやってきました。
海も狂ったように波と風を巻き起こします。
どしゃぶりの雨の中、エアは、じっと砂浜に座り込んでいました。
町の漁師が手を引いても、首を振るばかり。
どうか。
どうか、無事に帰ってきて。
それだけを願い、水平線の向こうを見つめています。
そこに、海図を広げていた、おばあさんがやってきました。
そして、エアの横に、ひとつの袋を置くと、傘も差さずに座り込みます。
エアは、静かに微笑むと、袋の中身を開けました。
そこには、丸いおにぎりが入っていました。
おばあさんが、エアのために握ってきてくれたのです。
エアは、びしょびしょの手で、おにぎりを持つと、おいしそうに口に運びました。
エアとおばあさん。
嵐の中に、ふたつの希望が灯りました。
その時です。
誰かの声がして、エアは後ろを振り返りました。
見ると、町中の人が海の神様の像の前に集まっているではありませんか。
エアとおばあさんが、近づいていくと、皆、ただただ、神様に祈りを捧げていました。
この嵐の中、船を出すことはできません。
灯台の光だって、どこを照らせばいいのかも分かりません。
もはや、祈ることしか出来ないのです。
雨は、どんどん強くなっていきます。
何もかも切り裂くように、風が勢いを増していきます。
それでも、祈り続けます。
ただ、船の無事を祈りながら。
真っ黒い空の切れ間に、月の光が差し込むのでした。
次の日。
町中は、お祭り騒ぎでした。
皆の祈りが通じたのでしょう。
突然、嵐が止んだかと思うと、遠くの海に、船の灯りが見えたのです。
おばあさんは、涙を流しながら漁師の人たちに抱きつきました。
他の町の人たちも、神様がくれた奇跡に、何度も何度も、お礼を言いました。
たくさんの笛の音。
心からの笑い声。
その中に、エアの姿はありませんでした。
風のように、やってきて。
風のように、きえていく。
「神様は、いつもそばにいるのね」
潮混じりの風が、エアの髪を揺らしているのでした。
ホオを赤らめて、遠くを行く男の子を見つめる女の子の優しい瞳に、エアは静かに微笑みました。
雪の降る、小さな町。
もうすぐ、バレンタインデーです。
その女の子は、大好きな男の子に、チョコと一緒に想いを伝えることにしたようです。
この町に来たときから、女の子が男の子を見つめているのを見てきた、エア。
心の中で、がんばれ、とエールを送るのでした。
次の日。
エアが、町で買い物をしている時のこと。
あの女の子が、本屋さんに入っていくのが見えました。
エアは、手に持っていたニンジンをカゴに戻すと、後をついていきます。
女の子は、大人の女性が読むような本を手に取りました。
その本には、『男の人の心を打つ、素敵な言葉』と書かれています。
女の子は、想いを伝える言葉を選ぼうとしているのです。
それを見ていた、エア。
眉をひそめると、少し寂しそうな顔をするのでした。
本屋さんを出た女の子は、お菓子屋さんへと向かいます。
エアも、こっそり着いていくと、女の子は、高そうなチョコレートを選んでいました。
それを溶かして、手作りのチョコレートを作るのです。
女の子の周りは、ずっと年上の女性ばかり。
そこでも、エアは、眉をひそめるのでした。
そして、13日の夜がやってきました。
女の子は、本で選んだ言葉をメッセージカードに書くと、早速、ナベを火にかけました。
買ってきた、ちょっと高いチョコレートを、ナベに入れると、テーブルの上に置いたレシピに目をやります。
難しい字で書かれているのでしょうか。
何度も、ページをいったりきたりしています。
そうしているうちに、女の子は、うとうとしてきました。
この日の為に、毎日、走り回ったのです。
疲れが出てきても、無理はありません。
しばらくすると、ナベに火をかけたまま、女の子はテーブルに伏せて眠ってしまうのでした。
ついに、バレンタインデーがやってきました。
嫌な匂いがして、女の子は目を覚ましました。
時計の針は、お昼を指しています。
女の子は、すぐに立ち上がると、ナベにかけた火を止めます。
幸い、火事にはなりませんでした。
しかし、ナベの中のチョコレートは、溶けてベタベタ。
おまけに、頭もボサボサだし、顔にはチョコレートがついたままです。
それでも、女の子は急いで、いつも男の子を見つめている場所へと向かいました。
エプロンをしたまま、駆けていく女の子を、エアが見つけました。
その、おっちょこちょいな姿に、小さく笑うと、急いで女の子の後を追いかけます。
女の子は、いつもの場所につきました。
遠くを見ると、男の子の周りに、たくさんの女の子が集まっているのが見えました。
ああ、やっぱり、私には無理だったんだ。
チョコも持ってない。
服も髪も、ボロボロ。
メッセージカードだって、忘れてきちゃった。
女の子は、うつむきながら、今来た道を戻ろうとしました。
その時です。
女の子の前に、優しい顔をしたエアが現れました。
そして、後ろを向いた女の子を、男の子の方に向きなおさせ、背中を、ポンと叩きます。
すると、どうでしょう。
それまで、沈んだ顔をしていた女の子の表情が、みるみるうちに、明るくなるではありませんか。
まるで、魔法のように元気付けられたのです。
女の子は、もじもじしながら、男の子の前にやってきました。
そして、素直にチョコを焦がしてしまったことを。
あなたのことが、大好きだという想いを伝えました。
気付けば、今日はいい天気。
太陽が、女の子の最高の笑顔を照らし出すのでした。
次の日。
幸せそうに歩く女の子の横に、あの男の子が並んでいました。
2人を見つめる、エアの優しい瞳。
「人の心を動かすのは、素直な想いだけなんだよ」
小さな声が、女の子の耳に聞こえました。
風のように、やってきて。
風のように、きえていく。
世界のどこかにいる、女の子と男の子へ。
ハッピー・バレンタイン!
額から流れ落ちる汗を拭うと、手についた真っ黒いオイルが、エアの白い顔をキレイに汚しました。
ここは、カーレースの盛んな町。
赤い帽子をかぶった男の人が、青い帽子をかぶった男の人と、設計図を見ながら相談しています。
その奥では、イスに腰掛けた黄色の帽子の男の人がレースコースの写真を見つめています。
3人は兄弟で、エアは帽子の色から、それぞれ、アカ、アオ、キイロと呼んでいました。
レースの決勝は、明日。
少し離れた、大きな街で行われます。
エンジニアのアカとアオ。
そして、ドライバーのキイロ。
皆、真剣な目をしてレースの準備に励むのでした。
次の日。
いよいよ、レースが開始されます。
このレースで優勝すれば、世界中にその名が知れ渡り、一躍有名人の仲間入り。
どのドライバーも、自分と応援してくれる仲間の夢を乗せて、アクセルを踏み出しました。
エアは、観客席の一番前でキイロを応援します。
どんどん前の車を追い越していくキイロ。
その度に、応援に来ている町の人々は、大きな歓声を上げるのでした。
キイロの乗った車が、エンジン不良により、リタイアする、その時まで。
その日の夜のこと。
アカ達の家には、重苦しい空気が圧し掛かるように流れていました。
リタイアになった原因は、オイルの中に入った小さなゴミでした。
確認を怠ったのは、どちらか。
アカとアオは、珍しくケンカになってしまいました。
キイロが止めようとしますが、アカもアオも譲りません。
次第にエスカレートして、キイロの運転の仕方に問題があったと、今度は三つ巴の大ゲンカです。
整備室に響く怒りの声。
倒れるデスクと、散らばる書類。
小さなライトに照らし出された、暗く悲しい男の姿は、どれだけ情けないことか。
アカが拳を握りしめ、アオの顔を目掛けて振り下ろします。
その時でした。
書類が散らばったコンクリートの床を、頬を押さえたエアが転がりました。
アオをかばったのです。
その姿に、3人とも我に返りました。
エアは、ゆっくりと立ち上がると、何も言わず、じっと3人を見つめました。
そして、床に落ちていたタオルを拾い、壊れたままになっていた車のボディを拭き始めました。
大切な友人を慰めるように。
愛した人を愛でるように。
自分の子供を包み込むように。
アカが声をかけようとすると、エアは手を止めて、窓の外に視線を向けました。
そこには、心配そうに見つめている町の人達の姿がありました。
月明かりが、3人の男の涙を照らし出すのでした。
次の日。
整備室には、いつものような活気が戻っていました。
そこにいるのは、3人だけではありません。
町の人たちも、慣れない手つきで作業を手伝っています。
そこにいないのは、エアだけ。
朝、目を覚ましたアカは、机の上にある一枚の手紙を手に取りました。
「誰が悪いとかじゃなくて、悲しんでいる人に目を向けてあげて」
暖かな風が吹く道を歩くエアの耳に、大きなエンジン音が聞こえてきました。
それは、兄弟からのお礼のコトバ。
風のようにやってきて。
風のように消えていく。
太陽の光が、白い顔についた黒いオイルを照らし出しているのでした。
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