僕は、あのおじさんの照れ笑いを、今でも忘れることができない。
大人になった今、子どもの頃の僕を思い出して、時々考える。
今年よりも、ちょっとだけ暑かった昔の、夏休みの話。
僕は小学校の宿題も自由研究もやらずに、友達7人くらいと裏山で昆虫とりに夢中になっていた。
クワガタを見つけたとか、カブトを見つけただとか、わいわいさわいだあと、突然ボール遊びをはじめたり、突然みんなで寝転がって笑ったりした。
太陽が傾き、みんなのお腹が減った頃に、ゆうた君がいつものように、「そろそろ帰ろうぜ~!」と、みんなに声をかけた。
リーダーのゆうた君の言うことにはみんなが従う。
片づけをはじめ、帰ろうとしたとき、山の下のほうからおじさんが登ってきた。
作業着というか、ジャージというか、首にタオルを巻いていて、とにかくサラリーマンではなかった。
手にはスーパーかどこかの袋を持っていて、のろのろと上がってくる。
全体的にぽっちゃりとした感じで、髪の毛はセットされずにくしゃくしゃになっていた。
その頃、ホームレスという言葉を、僕らは知らなかった。
なんで子どもは、知らない大人が来ると一瞬静まり返るのかわからないが、僕らは意味もなく静まり返って、おじさんが通り過ぎるのを見ていた。
そのとき、ゆうた君が「こんにちわ!」と、おじさんに向かって言った。
その言葉を聞いた僕らは、スイッチを押されたように「こんにちわ!」と、おじさんに言った。
おじさんはちょっと首をかしげ、「あうぁぅ・あ・・」と、意味のわからないことを言った。
それを聞いて僕らはビックリした。
何かいけないことをしてしまったかのように気まずくなり、誰からともなく僕らは駆け出した。
夕日を背中にして走る僕らの向こうには、見慣れた町並みと見慣れた家があって、早くそこに帰りたい気持ちでいっぱいになった。
帰ってからお母さんにそのことを話すと、
「あぁ、橋本さんちのおじさんね。 確か、耳が聞こえないんじゃなかったかしら。
失業をして家にずっといたみたいだけれど、最近見かけないと思ったら・・・
危ないから近づいちゃ駄目よ」
僕はお母さんの言ってる「あぶないから」ということが良くわからなかった。
なぜ耳が聞こえないと危ないのか、不思議に思いながら布団に入った。
次の日も公園に7人みんなで集まると、ゆうた君が
「なぁ、もう一回裏山に行って、あのおじさん見に行こうぜ!」
と言い出した。
リーダーのゆうた君の言うことにはみんな従うので、『肝試し』と称して、裏山のおじさんのところに行くことになった。
なぜかわからないけれど、それぞれが「あぶないから」と武器を持ち、通学用のヘルメットを片手に山に登ることになった。
みんなが、ジャングルに猛獣を狩りに行くような雰囲気で、こそこそと裏山に登った。
その頃には、僕らの間に一つの意識が生まれていた。
それは、『裏山の怪しいおじさんを捕まえて、この町の平和を守る』というものだった。
僕にはその意味が良くわからなかったけれど、「なんか町の平和を守っているんだ」という大きな気持ちになり、ゆうた君たちと同じようにこそこそと山に登った。
持っている木の棒で、茂みをガサガサ探ってみたり、小さなごみが落ちているだけで、「隊長! 発見しました!」と探検家ごっこをしたりしながら、昨日遊んだ場所にやってきた。
おじさんはきっと、この上のどこかにいる。
僕らはさらに慎重になりながら山を登っていく。
ひそひそ声でケンちゃんがゆうた君に聞いた。
「ねぇ・・おじさんを見つけたらどうするの?」
「ん?・・・そりゃぁ・・・まずは様子をみるんだ。 凶暴なら大人たちに知らせよう」
「うん・・そうだね!」
そんなやり取りをしながら山に登ってゆくと、茂みの奥に青い囲いが見えてきた。
当時はブルーシートを運動会の父兄用のスペースでしか見たことがなく、意味もなくドキドキした。
おじさんは、そのブルーシートの外で、うずくまって何かゴソゴソしていた。
「よし・・・みんなで後ろから近づいて、一気に大声で追い払おう・・」
ゆうた君がみんなにひそひそと伝える。
リーダーのゆうた君の言うことにはみんな従うので、みんなで低い姿勢になりながら、おじさんの後ろまで近づいていった。
「よし・・・いくぞ・・・ せ~の・・」
『ワーーーーー!!!!!』
と、みんなで大声を出した。
近くの鳥たちがいっせいに逃げてゆく音がする。
けれど、おじさんは無視したまま、何かをゴソゴソとしていた。
「・・・あ・・あれ?」
ゆうた君の予想とはずれ、おじさんは動じなかった。
そこで初めて僕は口を開いた。
「あの・・昨日お母さんに聞いたんだけれど、このおじさん、もしかしたら耳が聞こえないかもしれないって・・・」
「え!? そうなの? このおじさんが・・?」
と、みんなでもっと近づいておじさんの手を覗き込んだとき、持っている小さなナイフが見えた。
僕らは一瞬にして背筋が凍った。
とんでもないところに来てしまった! 殺される! と、誰もが思った。 そんな顔をみんながしていた。
ゆうた君が後ずさりを始めたのを合図に、みんなが後ずさりを始め、駆け出そうとした瞬間。
ビューーーーン!!!
と、おじさんの手から何かが飛んだ。
「うぉ!!!」
思わず声を出してしまった僕らの頭の上を、小さな竹とんぼが飛んでゆく。
「す・・・すげぇ・・・・」
僕らは空を見上げ、そろえて口をあけていた。
それはちょっとだけフラフラしながらも、ゆっくりとゆっくりと降下をして、静かに僕らとおじさんの間に落ちた。
おじさんが竹とんぼを取ろうと振り返った時、初めて僕らの存在に気づいて、ちょっと驚いた顔をした。
しかし、いびつな笑顔を見せると、手に持っていたもう一つの竹とんぼを僕らに差し出すしぐさをした。
「あれ・・・・作ったんだ・・」
「く・・・くれるのかな・・・」
「すげぇ・・・」
口々に竹とんぼに絶賛を送る。
ゆうた君が前に進み出て、その竹とんぼをおじさんから受け取った。
僕らは「やっぱりゆうた君は勇気があるなぁ・・・」と思いながら、その姿を見ていた。
ゆうた君が、おじさんの竹とんぼをビューーーンと飛ばす。
それもやっぱりちょっとだけフラフラしながらも、ゆっくりゆっくりと僕らの前に落ちてきた。
竹とんぼが地面にポタリと落ちるのを見守ってから、僕らは「すげぇ~~~~!!!」と、おじさんに駆け寄った。
「おじさん、これ作ったの?」
「これって木から作るの?」
「どうやって作るの?」
おじさんは意味のわからない言葉を言いながら、作りかけの竹とんぼを持ち出して、僕らに手渡した。
『手を切らないように気をつけながら切れ』という素振りを見せた。
ゆうた君が竹とんぼを削りだす。
僕らはそれを囲んで見ていた。
時々おじさんが、角度をもう少し浅くすることや、両方の羽根をできるだけそろえるように指示をしてくれた。
僕らはおじさんに憧れのまなざしを送った。学校の先生よりもよっぽど先生みたいだった。
みんながおじさんのことを「先生」と呼びはじめた。
おじさんは困って笑っていたけれど、みんなが一所懸命におじさんが先生であることを伝えた。
「せ・ん・せ・い」と、ゆっくり発音してみたり、
「おじさんが先生だよ!」と、みんなで竹とんぼを作っている間中、何度も伝えた。
ようやく意味がわかったおじさんは、くしゃくしゃに照れ笑いをした。
僕はその笑顔を、今でも忘れられない。
大人になった今、時々思うことがある。
耳が聞こえなくても、言葉がしゃべれなくても、どんな状況でも、人はその人生において『職人』であると思う。
家庭で毎日料理を作る、家事の職人。
上司の愚痴に付き合って、気持ちを優しくさせる、聞き役の職人。
書類を丁寧にコピーをしたり、お茶を美味しく入れる、お茶職人。
それぞれが、どんな状況にあっても、一生懸命に何かを表現している。
僕らは、たった一つの竹とんぼで、そのおじさんを『かっこいい』と思った。
何かに一生懸命で、それが例えいびつでも飛ばせて見せられるおじさんを、カッコイイと思った。
今の子どもを批判するつもりはないけれど、『竹トンボ』一つに感動する子って、少なくなっただろうなぁ・・と、思ったりする。
その年の夏、僕らは7人そろって竹とんぼの自由研究を提出したので、担任の先生にあきれられたことを、最後に打ち明けておこう。
高校を卒業してから、もう10年が経った。
当時の仲間で今でも連絡を取っているのは、数少ないけれど、圭介はその中の大切な一人だった。
トルルルル・・・・
トルルルル・・・・
ピ・・
『お掛けになったお電話は、お客様の都合によりかかりません・・・』
あいつはなにやってんだ・・。
ここ半年、連絡が繋がらない。
2週間に1度くらいの割合で電話をかけるが、この前までは電源が切れていてい、ついに料金が払えなくなったのか、連絡が取れなくなった。
中学校からのツレで、同じバスケ部だった圭介は、みんなの人気ものだった。
顔もかっこよくて、いつもふざけていながらも責任感があって、悪い仲間もいっぱいいたけれど、悪いことはしない奴だった。
中学生の時、バスケ部の試合で隣町までみんなで電車で行ったことがある。
相手先の学校までは駅からけっこう遠く、歩くと20分くらいかかった。
バスケ部の連中は、駅に停めてあった自転車の鍵を壊し始めた。
僕らの中学のなかでも、特にバスケ部は、ちょっと悪い奴ばかりが集まってて、集団で行動をすると調子に乗る癖があった。
当時の僕は、みんなの仲間はずれになるのが怖くて、盗みもしないけれど口出しもしなかった。
何人かが自転車に2人乗りをして行く後を、走ってついていっていた。
圭介は必ず隣にいて、一緒に走っていた。
あいつも人のものを盗む奴じゃなかった。
それでいて仲間はずれになるわけでもなく、必ずみんなの中心にいる奴だった。
そういう不思議な魅力を持っていた。
僕が中学校の時にいじめられなかったのは、あいつが側にいたからだと今は思う。
バスケの試合で僕がヘマをした時も、周りが冷たい視線を浴びせる中、圭介は必ず側によってきて「ドンマイ!」と声をかけてくれた。
圭介がいつも僕を仲間として受け入れてくれていたから、周りの連中も何もいえなかったんだろう。
圭介は僕と同じ高校に進学した。
同じバスケ部、同じクラス、そしてよく一緒に帰っていた。
けれど、2年生になってバスケ部に問題が起こった。
入学したばかりの新入生の中でも、ちょっとやんちゃだった奴をバスケ部の何人かが「シメ」た。
問題になって、バスケ部はしばらく活動停止処分をくらった。
僕はそんなこと全く知らなかったのでショックだった。
それきり僕は、陸上部に転部をし、陸上に情熱を燃やし始め、圭介はバスケ部に残った。
あいつがちょっと荒れ始めたのはその辺からだった。
高校まではなんとなく把握しているけれど、大学になったあいつがどんな生活を送ったのかはわからない。
ただ、社会人になってから地元で一緒に飲みに行った時に、通りがかったちょっと怖い青年たちが、
「あ、圭介さん! お疲れ様です!」と挨拶をしていくので、あいつがやんちゃをやっていたことだけはわかっていた。
そんなあいつに連絡が取れない。
実家を出て、フラフラとしているということだけは聞いているけれど、何かあったんだろうか。
僕は心配で、半年間電話をかけ続けた。
何やってんだろうなぁ・・・。
そう思った時、僕の携帯が鳴った。
圭介からメールだ。
「悪い。 いろいろいろいろいろあってさ。
また連絡する」
すぐに電話をしようかと思ったけれど、やめておいた。
携帯のメールを打ち込んでいく。
「気にすんな。何があったか知らないけれど、応援してるからさ。
またメシ食いにいくべ」
あいつはきっと、今辛い状況にいるんだろうと思う。
そんな時こそ、今度は僕が何も言わず側にいたいと思った。
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