オレの高校は、お世辞にも成績がいいとは言えなかった。
荒れ放題で、先生をボコることなんて、いつ起きてもおかしくなかった。
オレが3年生の夏、ついにそういった事件が起こった。
威張り散らしていた垣見っていう教頭を、隣のクラスの奴が「やった」。
先生たちはザワついてたけれど、俺たちは別にどうってことなかった。
そいつを退学にしたけりゃすりゃいいし、後先考えずに殴る奴がわりぃんだ。
その事件の後、2週間くらいは教頭は来なかった。 けっこう目の上をえぐられてたらしく、入院しちまったらしい。
何度かホームルームっていうのが開かれた。
「人を傷つけるのは、よくない」と言うような内容の話を延々とされた。
そんな話、誰も聞きやしない。どの先生もついにキレて、「お前たち! いい加減にしろ!!」とか言う。
まじうぜー。
・・と、その時は本気で思ってた。
でも、城山先生のホームルームだけは違ったんだ。
あれから12年経ったけれど、今でも心に残っている。
城山先生は、60歳前なのに髪が全て白髪の先生だった。
確か国語の先生だったけれど、担任でもないからその辺はあんまり覚えていなかった。
城山先生は「じっちゃん」というあだ名を付けられていた。
「じっちゃん」と呼ばれても、別に怒ることはなかったし、俺たちが授業中にどんなに騒いでいても、何も注意もしないし、何もしからず、淡々と授業を進めていた。
誰もじっちゃんの授業を聞かなかった。当時はやっていたゲームボーイを学校に持ち込んで、平気で音を出しながら対戦をしていた奴もいる。でもじっちゃんは何も言わなかった。
事件が起こった3日後くらいだったと思う。じっちゃんの国語の授業があった。
起立、礼も誰もしないまま、じっちゃんの授業が始まった。
じっちゃんはおもむろにチョークを取り、黒板に縦にでっかく「殺す」と書いた。
教室が一瞬ざわめき、
「じじぃ!! てめぇやってみろや!!」
という男子生徒の声がいたるところから湧き上がり、教室中が騒ぎ出した。
でも、じっちゃんはいつものように淡々と授業を進める。
次に、隣に縦に「生かす」と書いた。
男子生徒は、「あ?」とか言いながら、じっちゃんが何を言いたいのかわからず、「どういうこっちゃ」と、からかいだした。
じっちゃんは、その二つの文字から、横に矢印を書いて、
「殺される」
「生かされる」
と書いた。
「なになに『する』というのは、動詞ですね。
行動を表しています。殺人犯のように人を殺したり、お医者さんのように人を生かしたり」
と、淡々と言う。
俺はまったく意味がわからなかった。
じっちゃんが何を言いたいのかわからず、みんなに混じって「おい! わかんねぇだろうが! 日本語しゃべれや!」とかを怒鳴っていたと思う。
「けれど、『れる』や『られる』という助動詞がつくと、意味が変わります。
『受身』といって、他のだれかのせいで、または、誰かのおかげであることをあらわすようになります。
まだ生きたいのに人に殺されたり、もう駄目だと思ったのに生かされたり」
じっちゃんは笑顔とも悲しみともつかない顔で淡々と話している。
クラスの連中はまだ騒いでいたけれど、俺は何も言えなくなった。
その時は「うぜぇ」とか言ってごまかしていたけれど、今ならわかる。あれは、「怖かった」んだ。
初めて、じっちゃんを怖いと思った。
「なぜでしょうね。人は、殺されることには過敏に反応をするのに、生かされることは当たり前だと思ってしまう。
これは残念ですね。両方とも、同じくらい重要なことです」
と言いながら、隣に「生きる」と書いた。
その隣に、「死ぬ」と書いた。
「『殺す』と言う言葉の反対は、『生かす』です。
一方、『死ぬ』という言葉の反対は、『生きる』です。
不思議ですね、『生きる』の反対は『殺す』ではないんですね。
なぜだと思いますか?」
と、じっちゃんは、はじめて俺たちのほうを真顔で見た。
誰も、何も言えなかった。
「それはね・・・」
と言いながら、じっちゃんはチョークを手に取る。
じっちゃんの動きはスローで、早く答えを聞きたい俺たちにはドキドキする時間だった。
なぜだろう、あの時、すごくドキドキした。
俺たちが知らない世界を、じっちゃんは知っているのがわかった。
そして、それを俺たちにそっと見せようとしているのを感じ取っていた。
「この文字には、『望み』が書かれているんです。これは、先生もおじいちゃんから聴いた話ですから、辞書などに載っている事実とは違うかもしれません」
と、前置きをした。
「死ぬならば、一人で死にたい。
生きるなら、みんなで生きたい」
「そういう気持ちが、この言葉に隠れています」
といいながら、「死」と言う文字を分解して「一」「タ」「ヒ」に分けた。
「死は、『ヒトリタビ』です。 この漢字の中には、一人きりで死ぬことが隠されています。
『死ぬのは自分ひとりでいい、大切な家族だけは生かしてあげて欲しい』と、神様に祈っていたんでしょうね。
その反対は、多くの仲間や大切な人と生きることです。
「一人で死ぬ」の反対として「みんなと生きる」という望みが、この文字の意味にあるんです」
俺は口をあけたまま、呼吸を忘れていた。
「みんなが、どうやって生きるかを考えるための、国語の授業です。
さぁ、授業を始めましょう」
と言って、いつものように授業が再開した。
今でも、その時の様子を鮮明に覚えている。
その後は誰一人、じっちゃんをからかうことをしなかった。
別に、いい奴になったわけじゃない。 他の先生に対しては、かわらずにヤジを飛ばした。
なんていうか、じっちゃんだけは、みんなが好きになったんだと思う。
強い奴に憧れるように、深い知識に憧れたんだと、今は思う。
俺は今、30歳になってようやく子どもを授かった。
あの時城山先生が言った『大切な家族だけは生かして欲しい』という言葉を、最近かみ締めている。
子どもが生まれたら、城山先生に挨拶をしに行こうと、妻と決めている。
そして先生に、「先生が言っていたことは間違いだ」と言おうと思う。
先生が眠った後も、こうして俺たちは先生を思っている。
先生が旅立ったのは、ヒトリタビではなかったと、伝えに行こう。
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