「・・・さん」
「・・・橋さん」
「高橋さん!!」
私は自分の名前を呼ばれて「は・・はい!!」と、大きな声を出した。
「わ! ちょっと! 声が大きい!!」
と、同じサロンの山内先輩に押し殺した声で注意をされた。
「いくらお客様が居ないからって、リラクゼーションサロンなのよ? 大声を出したらサロン全体の気が散漫になっちゃうじゃない」
「す・・・すみません」
いつの間にか山内先輩は、先ほどのフルリフレを受けたお客様を見送って、控え室に入ってきていたらしい。
私はずっとここに居たのに気づかなかった。
「ちょっと・・大丈夫?
さっきからタオルを見つめてボーっとしてるよ?」
私は先ほど帰られたお客様のひざ掛けブランケットをたたむ途中で、考え事をしてしまっていたらしく、控え室でもあるバックヤードで立ち尽くしていた。
「何かさっきのお客様に言われた? 施術の力加減が弱いとか・・」
「いいえ・・そういうわけじゃ・・」
「そう・・ならいいけれど・・ うわ!!
ちょ・・・ちょっとどうしたの!? この腕のアザ!」
7分袖の制服から、真っ赤に晴れ上がった腕が少しだけ出てしまっていた。
「あの・・転んでしまって・・・」
私はひっかいた爪の後が先輩に見られないようにそっとおさえた。
「そう・・・あんまり辛いようだったら早退してもいいからね。
もしも残るのなら、気を引き締めてやって頂戴ね!」
「はい・・・すみませんでした。 気をつけます」
先輩は「寒い寒い・・」と言いながら、お湯で手を温め始めた。
1月の東京。 この日は珍しく雪が降って、朝のニュースでも一番の冷え込みになると言っていた。
リフレクソロジーサロンでは足を出すので、冬はお客様が激減する。
本来なら、寒い冬こそフットバスとあったかい施術で足裏を温めるほうがいいのだけど、感情的に「足を出す」ということを避けたくなるのだろう。
この日は全然お客様が来なくて、余計に考え事をしてしまう。
そして、考え事をしていないと、かきむしった腕がジンジンと痛む。
でも、今はこの痛みが私の心を支えてくれているような、そんな気がした。
(お前のことが・・・信じられない・・・・もう別れよう)
手を止めると、祐樹の言葉が耳元に響く。
なんで・・? あんなに好きって言ってくれたのに・・・。
もう一度沖縄に遊びに行こうって約束したのに・・・。
クリスマスプレゼントもあんなに喜んでくれたのに・・・。
考えたら死にたくなってしまう。
考えたくなくて、私は腕をかきむしろうとした。
その瞬間、
「高橋さん、お客様お願いします!」
山内先輩の言葉に、はっとわれに返って、慌てて腕を隠した。
「す・・すぐ行きます」
控え室のカーテンを開けてフロアに出ると、入り口のところでちょこんと年配の女性が座っていた。
「おばあちゃん」と呼ぶには若く、「上品な奥様」という感じのおばあちゃんだった。
受付に行くと、「田中さま N 20:プチ」という付箋を渡された。
そっと田中さまに近づき、声をかける。
「田中さま、本日は初めてのご来店ありがとうございます。
20分のプチリフレでよろしいでしょうか?」
という私の言葉に、田中さんはニコリと微笑んで、
「はい、よろしくお願いします」と、立ち上がった。
その立ち方が、とっても上品で、キレイだと思った。
席にご案内し、靴下を脱いでいただいて、フットバスにそっと足を入れていただく。
「お湯加減は大丈夫ですか?」
という問いかけに、やはり二コリと微笑んで、
「えぇ、大丈夫ですよ」
と答えた。
本当に感じのいいおばあちゃんだ・・・と、改めて思った。
ブランケットをかけながら、もう少しこのおばあちゃんと話をしてみたいと思った。
「今日は冷えますね。いらっしゃるの、大変じゃなかったですか?」
「そうねぇ、でも今日は自分へのご褒美なのよ」
田中さんは穏やかにこたえた。
「じゃぁ、特にがんばりますね」
と言うと、
「えぇ、お願いね」
と、ニコリと微笑んだ。
しばらく温まっていただいたところで足を丁寧に拭き、「力加減、合わなかったらおっしゃってくださいね」と声をかけ、足の施術を始めた。
田中さんの足裏は、すごくやわらかく、おばあちゃんにありがちな硬い角質がほとんどなかった。
「すごく柔らかい足をしていらっしゃいますね」
と声をかけると、意外な答えが返ってきた。
「ある人にね、死にたくなったら足の裏を見なさい!って言われたのよ」
思わず、「え?」と、聞き返しそうになった。でも平静を装って、「どうしてですか?」と聞いてみた。
「いつもいつも大地を踏みしめて、私を支えてくれているでしょ。
それなのに、私が先に死んじゃったら、これまで支えてくれた足に悪いじゃない」
「あ・・・・」と、思わず声が漏れた。
私はいつもいつも足裏に接しているのに、自分だけ先に死にたいと思ってしまっていた。
いつもいつもがんばってくれているのに、力任せに身体をかきむしってしまっていた。
それを見透かされた気がした。
「私ね、そんなことを考えながら、毎日 三沢川を歩いているのよ」
私は言葉が出なかった。
言葉を出すと、涙がこぼれそうだった。
振り絞って、「私も三沢川、好きですよ。いつも通勤で通ります」とようやく言った。
「あら、本当?
いいわよね。春には桜が咲くでしょ、夏は新緑が綺麗で、秋の紅葉もいいし・・・
今日は雪が降ってくれた」
(雪が降ってくれた)
その言葉で、私の頭の中は12月24日にフラッシュバックした。
(祐樹ィ、すごいね! クリスマスに雪が降るなんて!)
(すげぇだろ、オレが降らしたんだよ!)
(何いってんのよ! 私たちの為に雪が降ってくれたのよ!)
施術中の私の手は、止まっていた。
はっとして田中さんを見ると、窓から見える外の雪を見ながら、ちょっとだけ悲しそうな顔をしていて、こう呟いた。
「本当に・・・キレイだった・・・本当に・・・」
その時、この人も雪の振る日に大切な人を亡くしたんだと感じた。
そう思った瞬間、こらえていた涙が零れ落ちた。
私は慌てて横に置いてあった予備のタオルで、そっと涙を押さえた。
その後の施術中は、田中さんの顔を見れなかった。
でも、ずっと窓の外を眺めていてくれたんだろうと、なんとなくわかる。
なんとか施術を終えて、涙も拭いた後に、
「以上で、本日の施術は終わりました」
と声をかけると、窓の外からそっと視線を外して、ゆっくりと「ありがとう」とおっしゃった。
「あの・・・こちらこそ、本当にいいお話をありがとうございました」とお伝えすると、
「今日、あなたに会えて、よかったわ」
という言葉を残し、やはりニコリと微笑んで帰っていかれた。
田中さんが帰られた後も、私の心はほんわりとあったかかった。
控え室に入ると、山内先輩が待っていた。
「ちょっと、高橋さん、施術中に手が止まってたよ!?
ボーっとしてるなら早退して!?」
夢見心地は一気に冷水をかけられたように覚めてしまった。
「は・・はい、すみません」
でも、これが現実。
何か特別なことがあったからといって、現実は急には変わらない。
腕もまだジンジンと痛む。
でも、ちょっとだけ特別。
今の私は、この痛みに逃げるのではなく、この痛みを受け止めていこうと思えた。
私をずっとずっと、いつも支えてくれているものに、ちょっとだけ感謝しようと思えた。
「まぁ、さっきのお客様、お帰りの時にも受け付けであなたのことを誉めてたからいいけれど・・・」
山内先輩がポツリと言った。
「え? 本当ですか?」
「うん。 気持ちのこもった施術で、心があったかくなったって言って帰っていったよ?」
「そうだったんですか・・・・また会いたいなぁ」
「不思議なおばあちゃんだったね」
「えぇ、素敵でしたね」
あれから4年経ち、私は独立をして自分のサロンを持った。
今思えば、何でもないことだったのかもしれない。
でも、雪とおばあちゃんが、私の心に「人を癒す」ということを教えてくれたような気がする。
変わらない現実。
サロンに来たからといって、その日から急に人生がバラ色になるなんていうことは無い。
でも、いつも支えてくれている身体と足を大事にすることで、人生はちょっとだけ色を明るくできるような気がしている。
ニュースで雪が降ったという話を聞くと、あのおばあちゃんがフラッシュバックする。
私を支えてくれる、大切な大切な物語の一つだ。
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